こんにちは、ミィです。

「産後うつ」のリアルを知ってほしい!

今回は、読者の方の産後うつ体験記をご紹介します。


記事を書いていただいたのは、カズヨンさんです。カズヨンさんは、現在1歳の男の子のお母さんです。入院生活を経て、ワーキングマザーとして復活されています。
ぜひ最後までお読みください。


カズヨンさん(双極性障害、愛着障害)の体験記



1 診断名
    
産後うつ→双極性障害Ⅱ型+愛着障害 


2 服薬したお薬 

<過去に服薬した薬(覚えている範囲)>
リスミー(睡眠剤)
半夏厚朴湯(漢方)
リフレックス(抗うつ剤加味帰脾湯(漢方)
リーゼ(安定剤)
レクサプロ(抗うつ剤)
ドグマチール(抗うつ剤)


<
現在服薬している薬>
クエチアピン(抗精神薬)
炭酸リチウム「ヨシトミ」(安定剤
ベルソラム(睡眠剤)
ブロチゾラム(頓服:睡眠導入剤)
デゾラム(頓服:抗不安薬)


3 原因

【遺伝的要素】
父が双極性障害とてんかん、祖母がうつ病でした。
診察時にそのことを話すと、「遺伝的要素が強そうだね。」と言われました。

【生育上の問題】
親(特に母親)から愛情を受けてないと思いながら育ちました。
小学生の時に遺書を書くほど自殺願望が強かったですが、親や学校からは気づいてもらえず。
どこにも自分の居場所がないと思いながら大人になりましたが、夫に出会い、やっと自分にも安心できる場所ができたと思いました。
結婚7年で妊娠。
その時の実母の対応が原因で、実家とは絶縁していました。


4 経緯

【悩んだ末の妊娠】

出産する前は仕事人間で、家事は夫に任せきりで生活していました


自分の生い立ちや性格的に育児に向いてないのはわかっていました。義理実家は遠く、実家とも関係が悪く、里帰りできないのもわかっていたので、悩みに悩んた末の妊娠でした。

ただ、夫とならやっていけるのではないかと考えました。
産後3ヶ月は夫婦共に仕事をしないで育児に専念し、保育園に預けて二人共社会復帰した後は、 育児は夫がメインでする計画をたてました。

保育園も、育児休暇取得者限定の事前予約制度を利用し、予約も産前に済ませていました。



【産後〜1ヶ月検診:眠れぬ日々とうまくいかない育児。うつ発症まで。】

出産自体は順調そのもので、無痛分娩だったのもあり痛みもなく、私の感想は「あー本当に産まれたー」

感動の涙もなく、理科の実験のように、助産師さんの指示通りにやったら子供がでてきたなーとぼんやり思っただけでした。

ただ、出産当日はハイテンションでまったく眠れませんでした。その後も、 母子同室が基本でしたが、つらい時は預かってもらい、母乳に影響のない眠剤を飲みました。が、眠ることができず。

助産師さんの厳しい言葉に傷ついて号泣。急遽、夫に病院に宿泊してもらいました。

うちは夫が育児をする予定なのに、
助産師さんは何でも私に言ってくる。 ミルク指導も、夫は立ち会えな い。 思えばその頃から不安定だったと思います。

母乳も出てるのかわからないし、子供の体重を測っても増えていない。こんな痛い思いをしてるのに成果があがらないことも辛かった。

退院後もうまく眠れなくて、食事も母乳にいいものを食べなきゃいけないというプレッシャーがありました。

2週間検診に行くと、他の人はみんな母乳が出ていて子供の成長も順調初めて自分と周りには差があることに気が付きました。できない自分が悪いんだと思って、夫にも助産師さんにもうまく言えませんでした。

スマホで検索魔になったのもこの頃で、ちょっとでも疑問に思ったらすぐ検索して負のループへ突入。

赤ちゃん訪問の保健師さんは、質問に具体的に答えてくれないし、産後うつチェックのアンケートは、ただ書くだけ。「困ったらこの紙の電話番号に連絡して。」とだけ言って帰って行きました。

その後は、「1ヶ月検診が終われば楽になる」という夫の言葉を信じて耐えていましたが、毎日つらくて。

この頃は、夫が夜の授乳を変わってくれても、子供が泣いて起こされるのではないかという恐怖心があり、泣き声がするような幻聴もありました。

さらに、食事もできなくなっていきました。

抱っこしても足をつっぱる子供。うまく飲めない母乳。痛い乳首。

どうして。何で、うちの子はこうなの。私が悪いの?もう嫌だ、子育てなんてしたくない、むいてない、無理。誰か代わりに育てて。と毎日グルグル思う日々。

ミルクを飲ませても寝ないし、毎回吐き戻す。子供のことは嫌なのに、吐き戻すのが心配で、役場の小児救急に連絡したりしてましたが、不安な状態がさらに悪化するだけでした。

大好きだったテレビや漫画を見ても全然頭に入ってこない。散歩に行っても、右に行きたいか左に行きたいかの決断もできない。

何かを決めてしまったら、すべて自分に責任が降りかかる感覚。璧なうつ状態でした。

そして1ヶ月検診。また夫は立ち会えない。子供は順調に育っていましたが、先生や助産師さんに言われたことは頭に入ってこない。辛いとも言えなくて家に帰ってきました。

他の人に預けたい、ちゃんとした人に育てて欲しい、子供が怖い、一緒にいたくない、産前に戻りたい。このままではこの子に殺される。この子にすべてを奪われる。我が子なのに可愛く思えない。

我慢してた気持ちが爆発して、どうしようもなくなって、絶対に頼りたくはなかった母に電話をしました。

「もうどうしようもないので実家に帰りたい。」と号泣しながら言いました。

母に頼るのは屈辱的でしかなかったですが、頭の中はパニックで、頼れるのは母しかいなかった。それなのに、母は「用事があるから帰ってくるな。」と言いました。

私は愕然とし、さらにパニックになりました。
頼りたくない母にまで連絡したのに。実の娘がこんなに困っているのに、この人は断るんだ。 この人は母親なのか、これが母親なのか、と。

眠れないし、希死念慮が増してどうしようもなくなり、夜中に産院に連絡。

「とりあえず病院に来て。あなたは危険だから入院したほうがいいと思う。」と言われ、産院に行くことになりました。



【産後1ヶ月:産院へ入院。後悔と自責の日々。】

病院へ行ったら、即入院と言われ、子供はナースステーションで預ってもらうことに。

私は、個室部屋にいれられ、食べられないので栄養だけでもとれるように点滴をして過ごしていました。

こんなはずじゃなかった!子どもと一緒に生活なんて無理!私みたいなのが母親になったのが間違いだった!母親みたいな母親になりそうで怖い!夫に申し訳ない!このままじゃ仕事の復帰なんてできない!

と、毎日泣いて助産師さんに聞いてもらってました

助産師さんが、1ヶ月検診で指導されたミルク量よりはるかに多いミルクをあげてるのを見て「え?!そんなにあげていいの」と驚きました。

子供はスヤスヤ寝ており、お腹がすいて反り返りながら泣いてたということがわかりました。

指導された量というのはあくまで目安、3時間以上あけなきゃいけないというのも目安なんだと初めて知りました。 きっちりやろうとしすぎてたんです。

3日ほど経ち、少しはご飯が食べられるようになって点滴がはずれ、子供にも少しだけ会えるようになってきた時に、助産師さんから精神科の受診を打診されました。

夫と2人で、産院から紹介された、地域で一番大きなA総合病院へ行きました。診察結果は産後うつと発達障害でした。


発達障害とは驚きましたが、今までの人生を考えるとありえると思ったので、今度の診察でテストをすることになりました。

ただ、A総合病院は規模が大きすぎて待ち時間も長いため、もう少し小さなクリニックのほうがいいということになり、Bクリニックを紹介されました。

Bクリニックは人も少ないし行きやすいと思い通うことに。

薬が効いてきたのか、入院前と比べれば、落ち着きを取り戻しつつあったので、産院を7日間で退院することになりました。




【産後2ヶ月:薬の副作用で食事もできなくなる。】

自宅へ帰っても眠れないのは変わらず、テレビや漫画を見るのも辛かった
ですが、食事だけは無理して食べてました。

不安で子どもと一緒にいたくないという気持ちは変わらなかったですが、「Bクリニックに通っていればいつかは良くなるんだ。」と信じていました。

Bクリニックで、発達障害のテストをしたところ、発達障害ではなかったという結論になり、うつの治療に移行していきました。

初めは話を聞いてくれたものの、だんだんと事務的な処方だけの察になり、先生も信用できなくなっていました。

一番嫌だったのが、「副作用で吐き気が強く出る抗うつ剤を飲めば、体に馴染むと早く良くなるから。」と言われたこと。

私は昔から副作用が強く出る薬がダメで、先生に話したはずだったので。

飲んではみたものの、ひどい吐き気で食事もまともに取れず、寝込んでしまいました。

どうしても飲みたくなくて、予約外で診てもらったら、
君はどうして僕の言うことが聞けないんですか。少し我慢するだけでグッとよくなるんだ。君には他の患者さんより特別な治療をしているんですよ。」 と先生が言うのです。

「薬が嫌だ。吐き気は嫌だ。」と訴えてもわかってもらえず、無理して取っている食事すら奪われてしまいました。

病院の駐車場でパニックを起こし、家に帰りたくない。どこにも行きたくない。消えたい。いなくなりたい。」 と泣き叫び 、夫に無理やり車に乗せられて家に帰ってきました。

眠れてないし、眠いという感覚もないし、あくびすらできい自分が嫌で、そうとう参っていたと思います。

また産院に相談して、「家族みんなで義理実家へ行ってはどうか。」と提案され、義理実家へ行く事に。産後2ヶ月でした。



【産後3ヶ月:義理実家での休まらぬ日々。

義理実家へ行っても気を使うし、休まることは無かったですが、「夫の負担が少しでも減るならここにいたほうがいいんだろう。」と思ってました。

子ともの面倒は、昼は夫、夜は義理母が見てくれ、私はBクリニックで処方された漢方を飲み過ごしていました。

相変わらず睡眠は取れず、ひたすら子供を他人に預ける方法を検索したり、自分みたいな人がいないか検索したり、友達のリア充を見るのが嫌で、 FacebookやTwitterのアプリを消したり…。

ドラマを見れば、「あの人たちは病気の人じゃない。元気な人。私とは違う。そんな話面白くない。」と、すべてにおいて悲観的でした。

自殺SOSみたいなところへ電話をして、C総合病院に救急車で運ばれてしまったこともあります。

安定剤を注射され、産後初めて2時間まとめて睡眠をとることができ、 少しホッとした気分でした。

そこからC総合病院の精神科へ通うことに。先生はちゃんと話を聞いてくれ、薬も無理することなく少しずつ処方してくれたので、信用できました。

睡眠は少しは取れるように
なりましたが、不安感は残りました。

何も役に立ってない自分はダメだし、夫にも迷惑をかけてるし、 子供のことを可愛いとは思えないのに義理母に「ほーら、 こんなに可愛いでしょ?」と言われるのが辛くて辛くて・・

当初の予定では仕事へ復帰する時期だったんです、救急車で運ばれたことで、ようやく夫も復帰は無理だねと言ってくれ、復帰を延長することに。

後から聞いたことですが、夫にとってはこの時期が一番辛かったそうです。

子供の面倒の見るために仕事も探せず、義理実家にいても休まらず、世話になっているから文句も言えない。私も苦しそうだったと。 



【産後3ヶ月:自宅で家族3人で暮らし始める。診断が双極性障害に変わる。】

他県にいると行政のサービスを受けるのは難しいこともあり、育児をするなら義理実家よりも自宅にいた方がいいということになり、自宅へ戻りました。産後3ヶ月半でした。

保育園の入園申し込みをしましたが、9月だったので空きがなく、翌年度まで待つことに。

私は収入がない不安と、子どもと一緒にいることに不安があり、この先もっと辛くなっていきました。

保健師さんの紹介でD病院へ通うことに。D病院は入院もできる大きな精神科専門病院でした。

担当になった先生も親身に話を聞いてくれて、診断は産後うつと愛着障害でした。

先生に愛着障害の診断をされ、自分でも調べてみたらすごくしっくりきて、この先生は信用しても大丈夫と思いました。

愛着障害は薬で治るものではないから、カウンセリングを受けてみてはどうかと提案され、カウンセリングも始めました。

胃腸薬にもなる抗うつ剤(ドグマチール)を処方してくれ、食欲も出て、睡眠が4時間くらいとれるようになっていました。あいかわらず寝不足感、不安感は拭えませんでしたが。

数日経ったら、急に、眠っていないのに何でもできるようになり、人がわったかのように動けるようになりました。

早く起きて、洗濯して、ご飯を作って…と、「今までの自分じゃないみたい。これだったら仕事も復帰できる!」と思うほど。

診察で話したら、双極性障害を疑われました。父が双極性障害だったことを話したところ、次の診察で双極性障害であると確定。

薬が換わりリーマスを飲むようになりました。何でもできる状態(躁)も数日で終了。 またうつ状態になりました。



【産後8ヶ月まで:なかなか良くならず辛い日々。不安の絶頂期。】

外来とカウンセリングで治ると思っていましたが、なかなかそうはいきませんでした。

髪を切ったり、少し誰かに会ったり、散歩をするとちょっとだけ気分が持ち直すんですが、やはり無理をしている。

あいかわらず眠れなくて、一生眠れないのではないかという不安。

子どもと一緒にいたくない。私みたいなのは母親にはなれない。 夫も仕事もしてないので経済的に不安。 それは全部私が育児や家事ができないせい。

と思ったり。

あいなわらずテレビを見ることもできないし、テレビがついてるだけで嫌でした。

子どものためにEテレをつけていると、テレビの音が頭に響いて辛くて「つけないで!」と言ってしまったこともあります。

私が寝室にこもると検索魔になって、ろくなことを考えないし、一緒にリビングにはいられないし…どうしようもなくなったりしてました。

家族みんな胃腸風邪になってしまったときは、誰もうちの家族を助けてくれる人はいないのが不安で仕方なく、救急24時に電話したり。不安定の絶頂期でした。

夫が、子育てしながら働ける会社に内定をもらって働くことが決まりましたが、保育園への入園が決まるかどうか心配で落ち着かず、不安定なまま夫と子供と何とか生活をしていました。

子供が8ヶ月の時に保育園への入園が決まりましたが、私の不安はピークに達していました。

子供と一緒にいたくない。子供なんて産むんじゃなかったという気持ちが強くなり、「消えていなくなりたい。」私さえいなくなればすべて丸く収まる。」と思うようになりました

「あと1ヶ月で子供は保育園に入れるから頑張ろう。」と夫に言われましたが、児童相談所へ連絡。

子供を預かって欲しいと泣きながら懇願しました。

でも、夫は夫はずっと育ててきた意地もあるし、乳児院には預けたくないという考え。

「カズヨンが入院したほうがいいのでは。」と提案され、精神科に入院することになりました。




【産後9ヶ月:閉鎖病棟に入院。】

急性期病棟へ入院。閉鎖病棟なので外出は許可制、携帯禁止。刃物禁止。ジュースやお菓子の持ち込める量とかいろいろ制約がありました

検索魔になっていたので、携帯を取り上げられたのは良かったかもしれませんが、最初は慣れなくて、望んで入院したのに「家に帰りたい。」「こんなところ3日出てやる。」と思ってました。

初めは喋る人もいないし、孤独で、子供のことや入院費のことを考えちゃう。考えないようにホールに置いてある漫画を読んで過ごしていました。

夜は眠っても中途覚醒してしまい、夜中に追加眠剤を飲んでましたが、眠った感じがしなくてダメでした。

入院して1ヶ月程経つと、病院にも慣れ、入院している方が落ち着くようになってきました。

夜は自分で「寝た」という実感が持てるようになってきたものの日中から夕方にかけて頭がぐーっと押さえつけられ、   顔から手や足にかけてしびれてる感覚が出てきました。

精密検査もしましたが、現在も原因がわかりません。

このあたりから自宅への外泊をして、徐々に自宅に慣れるようにしていきました。まずは1泊2日からでした。

自宅だと子供が夜泣きするので、子どもと一緒の部屋で寝るのが怖かったし、テレビがついてるのも嫌でした。

病院のほうが落ち着くと思うことに危機感を覚えて不安になりましたこんなんじゃ自宅に帰れない。どうしよう。」 と。

看護師さんに泣きながら話を聞いてもらったりしてました。

看護師さんが「大丈夫だよ。カズヨンさんは病院に腰を据えてる感じはしないよ。きっとお家に帰れるよ。家族と一緒に暮らせるよ。」と励ましてもらってました。

しだいに、暇だった毎日も、作業療法をするようになり初めて楽しみができました。

作業療法は「大人の塗り絵」「点つなぎ」「革細工」「体操」をやってました。中でも「大人の塗り絵」はひたすら毎日没頭してやってました。

やってる時は何も考えなくていいし、作品ができあがるのが楽しみでした。産後初めてできた楽しみだったかもしれないです。

ケースワーカーさんが退院後うまく生活するためのサポートを提案してくれ、私は障害者手帳を取得していたので、居宅介護支援事業を使い、家事援助をうけることに。

夫は子供を連れて毎日お見舞いに来てくれました。

時には一緒に近くの公園へ散歩に行ったり、ただ洗濯物を渡すだけの日もあったり。

初めは一緒にいるのが辛く、子連れの人を見る度に「なぜ私は子供と一緒に過ごせないのか。」「みんな楽しそうだけど、私は子供といると辛い。夫と2人でいたい。」と思っていました。

それも徐々に慣れていき、夫が毎日お見舞いに来てくれるので、他の患者さんに羨ましがられました。



【産後11ヶ月:回復。夫の復職、子どもが保育園に通い始め、気持ちが楽に。】

夫が仕事を始め、子どもが保育園に通い始めると、私の病状は良くなっていきます。

保育園に入ったことにより「夫以外の安心できる人(プロ)が子供を見てくれる」という安心感。

夫が仕事を始めて収入が安定したこと。

この2つの不安が一気に解消されて気持ちが楽になりました。

自宅へ外泊すると、子どもと一緒の部屋で寝るのは平気になっていました。

入院して2ヶ月、家に帰れると思えるようにまでなってきました。

テレビもなんとか見れるようになってEテレも子供と見れるように

病院の中でも古株になり、仲の良い人もできて、入院生活も余裕が生まれました。

症状が重い人と一緒に生活し病気を肌で感じることで、病気の重さがわかるようになり、自分が今どれくらい良くなっているのか、客観的に見えるようなってきました。

それまでは、私は病気、一生治らない!という悪いイメージでしたが、少しずつできることが増えているのが感じられました。

楽しいことを増やし、外泊で自信をつけ、病気に対するイメージを良くし、睡眠も取れるようになり、薬も効いて安定している。

ついに「退院しましょう。」と先生から言われ、退院が決まりました。

入院期間は2ヶ月半。産後11ヶ月のことでした。



現在:復職するまでに回復。毎日子どもがかわいいと思ってます。

2016年6月現在、退院して1ヶ月たちましたが、日に日に良くなってきてます。

この1ヶ月、病院へは隔週の診察、週1のカウンセリング、週2の作業療法に行ってます。

退院後2週間してから昼間の眠気が酷くなってきてたので、クエチアピンが半分に。眠剤もカット。それでも体調は万全で睡眠もとれています。

今は自分の好きなドラマを見れるまでになりました。

前のように、「あの人たちは元気な人。私とは違う。」なんてことも思わなくなりました。

テレビは病気のバロメーターになっています。

家事はできる範囲でやり、できないところは平日1時間家事援助を受けながら生活しています

育休が終了し、時短で復職することになりました。

先生、看護師さん、作業療法士さん、心理士さん、ヘルパーさん、ケースワーカーさんに、早期の復職に「大丈夫?」と心配されましたが。

復職しなければ退職しないといけない仕事なので、 復職するしかない。ダメなら辞めよう。 そのくらいの気持ちで復職します。

もし、この復職がうまくいけば、病気の寛解へ近づくのではないかと感じています。

そして、1番変わったのが子供に対してです。

今は心の底から、子供のことを可愛いと毎日思っています。

産んで良かったし、一緒にいれるし、子供のこれからの成長がとても楽しみで仕方ありません。

一時期は「この子に殺される」と思っていたなんて嘘のよう。

こんな風に思えるようになるなんて、自分でも信じられませんが、泣いてる我が子も可愛くて仕方ないです。

新生児期のフニャフニャの頃もこんな風にかわいく思えたらよかったのにと思う位です。

産後の私には信じられられないことが、今、起きています。

ここまで子供を育ててくれた夫には本当に感謝しかありません。



5 振り返ってみての今の気持ちなど

父も同じ精神疾患で、知識があるにも関わらず、私は病気になってしまいました。

育児も、産後1ヶ月から現在に至るまで、ほとんどしていません。

オムツ替えもミルクも離乳食も、お風呂も、抱っこも寝かしつけも保育園の送迎もすべて夫がやっています。

育児をしていなくても、私は子供と一緒にいるのが嫌だったし、産んだことへの後悔がものすごく強かったです。

知識があるとか、育児をしているとかしていないとか、 そういったもの関係なしに、 病気になってしまうのが怖いところだと思います。

育児をしている方は、とても尊敬していますし、育児をしながら精神疾患の寛解を目指している方はさらに尊敬しています。

そんな方々には私の体験記は参考にならないとは思いつつ、病気になって1年になるのでケジメがつくかなと思い、今回書くことを決めました。

「病気の年数=子供の年齢」というのは辛いです。子供が0歳の時の思い出は、すべてつらい病気の思い出とセットです

それでも、今、子供を可愛いと思えるようになったのは、夫が子供を今日まで育ててくれたこと、私を支えてくれたこと、病院関係者の方々の支援と、Twitterで知り合った方々との交流のおかげだと思っています。

子供がいたら諦めなきゃいけないことばっかりだと、うつがひどい時は思っていましたが、

大好きなライブにも子供を託児所へ預けて行けたし、大好きな旅行も子どもと一緒に行きました。

今は子供がいても楽しい!成長が楽しい!って思えることが嬉しいのです。



6 今、辛いママへのメッセージ

まずは、近くの誰でもいいです。
旦那様、両親、義理両親、友達、知り合い、保健師さん、保育士さん、役場の人、病院の先生、助産師さん、看護師さん、ケースワーカーさん、作業療法士さん。

本当に誰でもいいのでSOSを出してください。

産後1ヶ月で精神科を受診した私でも、もっと早く入院していれば。と思います。夫も同じことを言います。

私にとっては入院することが早期治療だったんだと思いますが、療方法は人それぞれです。

早期発見し、その人にあった治療方法、投薬を速やかにすることが早期治療につながります。

SOSを出して、誰かがあなたに気づいたら、少しはその辛い気持ちが軽減される方法があるかもしれません。

周りの人は少しでもあなたのことを助けたいと考えているかもしれません。

それは甘えではありません。病気だから仕方がないです。

子供を育てるということはとても大変なことです。

SOSを出すことは恥ではありません。
一人で抱え込まないで、誰かにSOSを出す勇気を。


ミィのまとめ

カズヨンさんの体験記は、病院を何度も変わり、何とか治したいと試行錯誤を繰り返している様子が、本当にリアルだと思いました。

カズヨンさんのツイッターは産後3ヶ月の頃から読ませてもらってますが、辛い日々が長かったんですよね。

産後9ヶ月の頃は本当にしんどそうでした。なかなか良くなっていると実感できない日々はどんなに苦しかったか。

それでも、ご自身で入院を決断され、お子さんの入園が決まってから、少しずつ良くなっていくのが分かりました。

素晴らしい旦那様の助けもあり、1年間かけて、復職するまでに回復。

ほんっっとに長い1年間だったと思います。回復されて本当に良かった!


「子どもが0歳の思い出は、辛い病気の思い出とセット。」

私もです。特に生後半年までの思い出が辛すぎる。辛い記憶しかない。言葉にできないほど辛かった。

よりにもよって、なんで子どもが生まれたときに病気になっちゃったんだろう?と、未だに悔しく思います。

でも、病気が良くなれば、子どもをかわいく思えるし、楽しい思い出だってたくさん作れる。好きなこともできるようになる。

カズヨンさんの体験記を読み、そう思いました。今しんどい方にも希望を持ってほしいですね。

「こうすれば病気は治る」という魔法のような治療法がないのが、うつの辛いところ。カズヨンさんの言うように、自分に合った治療を見つけて取り組んでいくしかないのでしょうね。

カズヨンさん、お忙しい中本当にありがとうございました!










これからも、産後うつ体験記にご協力いただける方を募集します。


うつ病に限らず、双極性障害、パニック障害、産褥精神病などの精神疾患を患った方やうつ病までは行かないけど抑うつ状態だった方の体験記を募集してます。     
    
ご協力していただける方がいらっしゃいましたら、気軽な気持ちでぜひご連絡ください。


つづく。